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日常話、徒然、描いた絵、読んだマンガとかの話です。冷凍ご飯はレンジ解凍一食分500W約二分半です。
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某私立大学獣医学部5年完全屋内適用型半廃人です。
趣味≫マンガを読む、ネットをうろつく、絵を描く、写真を撮る、歌う、楽器を弾く等。

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「天国と地獄」って
別に喜歌劇の話ではなく…

先日ネットニュースで、今回の震災で亡くなられた方の葬送について
行政は火葬が間に合わないので土葬を薦めてるらしいですが
多くの場合、親族が土葬ではなく火葬を希望してる
という記事を読みまして

「葬式」の話です。

こんな話の流れですが震災とは関係なく「文化」としての考察です。
いつも通り知ったかぶりで喋ります。内容の正誤に責任取れません←
…あと「個人的な私見」であることと「話が長い」のは了承ください


不謹慎なつもりはないのですが不快に思われる方がいらっしゃるかもわかりません。
申し訳ありませんがその辺も責任は取れません。

以上了承できない方は読むのをご遠慮くださいな…







現代日本では火葬が一般的ですが、考えてみれば多くの国では土葬がフツーです。
もちろん「死体」に関するスタンスが文化に依って異なりますが
(※心身二元論とか/千の風になるのは西洋人←)
まぁ日本でも江戸時代までは何だかんだで土葬の方が一般的でした。

それでも身分の高い人などは火葬してましたし(仏教伝来に関わる)
近代の火葬設備の充実などは火葬の一般化を進めた大きな要因ではないかと思います。

火葬のメリットはと言えば
埋める場所の確保・疫病等の汚染防止…と言った実際的なものの他に
「煙が天に昇っていく」という感覚、
「骨」という故人「自身」より「形見」に近いものを埋める感覚
と言った「気持ちの問題」が挙げられます。

現代日本人がそこまで仏教に拘ってるとも思えないので
火葬の方が好まれるというなら、
おそらく宗教的な感覚より
慣例や上記のようなイメージの問題かと思います


「天に昇る」という点について

天国は空の上に在って、地獄は地の底に在る
という感覚はそもそもキリスト教文化の影響かと思います。
 (まぁ天上の国=神の国っていう考え自体は西欧に限りませんが、多くの場合、神の国≠霊界です。
死んでから神の国に行って祝福されるのはキリスト教徒かと。)

仏教では極楽浄土は西の果てに在ります。
地獄については、「奈落」という言葉もあって、「地下にある」と考えられたりもしますが
(※但し「奈落」という言葉は梵語「naraka」の音を拾ってるだけです)
実際には、無間地獄、八大地獄、八寒地獄、孤地獄、辺地獄といくつもあって
責め苦のレパートリーも豊富←
この世にも存在する、くらいに考えてます。

仏教の採用した火葬の形を取りながら、感覚は西洋に近い…という
よくある日本人の宗教的矛盾がここにも在るような気がします。

そもそも「死んでお星さまになる」なんてのはギリシャ神話の英雄じゃあるまいし…とかね←

(ちなみに、神道でいう「黄泉の国」は「黄泉=地下にある泉の国」ですが、
天国や地獄と言った考えは無く、霊界として現世との連続線上に考えられています)



「骨を埋める」という感覚はやはり地面に死体を埋めるより
ある種、死をオブラートに包んで受け入れやすくしているように感じます。

私は以前、飼っていたウサギが死んでしまったとき、庭に穴を掘って埋めましたが
やはり最後に顔に土をかける時はやるせない気持ちになりました。

(あと体って死んだ後も結構動くらしいですしね…伸筋より屈筋の方が強い関係で…)

葬式とは亡くなった人自身よりも
周りの人がその死を受け入れるための行程なので
火葬して49日後に追善供養を終えるというのは
理にかなっているとも言えるかもしれません。
(※そういう意味で私は「生前葬」は全く意味がないと思ってます…まだ居るのに…ねぇ…←)



さて
最近の葬式では霊柩車が、一見、普通の黒塗りの車の形になっているそうです。

以前、「日本人が生活から死を遠ざけている」ことを危惧している
文化人類学者の方の記事を読んだことがあります。

実際そのような動きは強いように感じます。

死は悲しいことで
多くの人がその存在を忌避するのは仕方ありません。
死を「日常」の側に置きたがる人などまず居ないでしょう。

しかし
死があるからこそ生があり
毎日、誰かが生まれては死んでいるというのは
誰が何といっても当然のことです。

それこそガンジーの言葉のように
「明日死ぬ人のように生きなさい、永遠に生きる人のように学びなさい」
というように
避けがたく悲しいものだからこそ生きる糧になるのだと思うのです

そういう意味で、死を遠ざけ、人に押し付けてごまかしてしまうのは如何なものか。


そういえば
妖怪絵巻の中に「帷子ヶ辻(かたびらがつじ)」と言うものがあります。
別に妖怪の話じゃないんです。

昔、都で評判だった美人の女性が、若くして亡くなるとき
「自分が死んだら帷子ヶ辻に捨て置いて烏に啄ませるように」と遺言し
「生きている間どんなに美しく、持て囃されていても、死ねばみな醜い死体と成り果てる」諸行無常をその身で説いた
という話(たしか←)

いわゆる「鳥葬」ですね

こんなこと今時の日本ではできるはずもないですが
(法的にできたとしても今時の教育ママが居たら訴訟モノかなぁwww)
死ぬということはどういうことか考えさせられます。

受け入れがたいものをどうやって受け入れるか、
その一連の慣例儀式として「葬式」があります。

ガチガチの理系として言わせてもらえば、
死んだら身体の生命活動が止まって恒常性が崩れエントロピーが増大
微生物やら体内の分解酵素が体(タンパク質)を分解・酸化が進む
ってぐらいなモノで
ほっといたっていつかは土に還るわけで

死にきれない魂がどうたらとか
…そういうのは生き残ってる周りの人間の精神的な問題なんですよね
葬式のやり方に拘るのもきっとその辺だろうな。

そんなこと言いつつ
仏壇に線香あげるしお墓参りもするし
肩にお祖父ちゃんのってるって言われたら「そうなんか」って思う。
亡くなった人が何処か遠くで幸せになってくれたらって思う。

大事なのは残された人が死を悲しんで残してもらったものを忘れずに大切にするってことじゃないかと。


死んだ後もそうやって「生き」続けられるように今を生きないといけないわけですね。

頑張り…ます…←




ちなみに関係ないけど私個人はできるなら土葬がいいな…と思ったりします…
色んなものを殺して食べて生きてきたんだから死んだらこの血肉還したいじゃん…とかね…←
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